森本郁真。「森」と「本」という、狭義的には逆説的な意味合いを含む苗字を冠する彼は、性格の大らかさとプレーの猛々しさを併せ持つため相応しいでしょう。彼の言葉は、力ツヨく波打ち、私たちの心を南国へと誘います。近頃、スマートフォンの中の生物を採集することに、ラグビーと変わらない程の熱量を注力しており、周りの人々から酔狂だといわれていることを、彼もまた分かってやっています。専攻分野である経済学は、私の農業分野と密接な位置にあり、私と彼も良好な関係にいるのです。
私は、支離滅裂ではありませんが、ラグビーのプレーとプレーの間、よく農学について考えます。しかし、この症状は、勉学しているときには逆行したことが起きるということは、いうまでもありません。人の思考と記憶は、物事の関連の強弱に依るということは、良く知られていて、私の中で、ラグビーと農学が強く絡みついていることを、暗に示しているのでしょう。私の普段の生活では、この二つが脳のほとんどを占めており、もし、一面が欠落するようなことがあれば、私の大学生活の喪失を表し、私の個体としての存在を認めないということになり、果たして、それは遺伝学や育種学と同じアプローチといえるでしょう。私の思考における親達は、量的とも質的ともいえるその遺伝子の、ヘテロ接合を次々と生成していき、私の心をより強靭に、確かなものにしていきます。どちらか片方のみの視野範囲では、辿り着くことができなかった形質を得たとき、そのヘテロシスに私は歓喜するのです。
ラグビーにおけるトライの根源は、「ゴールキックへの挑戦」というもの。現在のラグビーでは、トライが終点として置かれることがありますが、それは枢要な過程の一端で、その後の不確定な点数というゴールの傍に常駐するモノなのでしょう。大学生という経路の一部の中で、私は、「ライ麦」のように他殖的に、相手の知見を取り込みながら、結実したいのです。
次は、阿左美 健が運びます。リレーブログというゲノムのやり取りのような場で、彼の思想が色濃く紡がれることに、私の感性は強く反応しています。
3年 No.8 江藤壮志