皆さんお久しぶりです。今回リレーブログを担当します4年の野間祥太です。前回走者の小谷野元希は1年生ながら、筋トレ測定部内トップかつブロンコ5分前半と恐るべきモンスターです。そして、彼をモンスターたらしめているのはフィジカル面だけではありません。彼は関東出身でありながら、ある面で非常に九州男児らしい考えを持っています。彼が4年になった時が楽しみでもあり、心配でもあります…
さて、本題に入るかと思いきや前置きはまだ続きます。恐らく今回が最後の担当なので、書けることは書いておこうと思います。かなり長くなりますが、お付き合いのほどよろしくお願いします。
今年の後輩達はよく筋トレに励んでいて、今の4年が下級生だった頃に比べて、全体のフィジカル面は上がってきていると感じます。また、学年関係なくコミュニケーションも活発に行われていて良い部活だなと思っています。ただし、1年の愛介が練習後何の了解もなく私の肩に腕を乗せながら雑談しているのは許していません。
長くなりましたが、本題に移ります。
「無職?」というテーマですが、これは部活内で役職がないという意味でそれ以外の意味は特にありません。
決して多くの人に見てもらいたいが為にインパクトのある題名にしようと思った訳でもありません。
私は4年生という身でありながら、実質的な役職はありません。一応データ班の班長という肩書はありますが、実際は3年の後藤正太郎がまとめてくれています。彼は裏で私のことをいじっているらしい要注意人物ですが、私の代わりにデータ班の仕事を引き受けてくれているので、見逃します。なぜ、データ班の班長なのに、班長の仕事をしていないのかというと、私は昨年の9月から今年の5月まで資格勉強で部活をお休みしていて、その間、正太郎がデータ班をまとめてくれていて、自分の復帰後も引き続きデータ班のまとめ役をしてくれているからです。本当に感謝です。
そんな私にできていることと言えば、我らがキャプテン久保田健大の飲み会帰りにバイクで家まで送ってあげることと、いじられることくらいでしょうか。ですが、4年生になってからというもの、いじられる対象が先程紹介した元希やもう一人の1年生フロントローの森亮太朗に段々移っていき、嬉しさ9割寂しさ1割です。
と、ここまではブログを書く前の段階で構想していた内容を書いてきたのですが、書いていく途中で私は本当に無職なのだろうかと自問自答していると、そうではないことに気がついてしまいました。
私の職、それはスクラム専門職です。役職ではないですが、これで自分自身を納得させることにしました。とは言っても、スクラム専門職と自分で胸を張って言えるのは4年になってからのことです。
私は高校から大学まで練習、練習試合を含めて右プロップしかまともにしたことがありません。一度高校の練習で左プロップをさせてもらったのですが、あまりの才能のなさにすぐさま交代させられました。それからというもの大学に入ってからも左で組むことはなく、遂には1回も右プロップ以外で試合に出ることはなさそうです。
そもそも私が右プロップになったのは高校のラグビー部で一番体重が重かったからでしょう。高校では部員が少なかったため、15人制の試合よりも10人制の試合に出ることが多く、相手もそこまで強い高校と当たることはなかったため、スクラムはちょっとした休憩でした。今考えればかなり無茶苦茶なスクラムでしたが、昨年高校の練習に参加した時はしっかりそのスクラムが引き継がれていました。
そんなスクラムばかり組んでいたため、九大ラグビー部に入ってから初めてのスクラム練習をした時、これが大学のスクラムか…と感動しました。しかし、その感動は後の福工大や九州共立大との練習試合で恐怖に変わっていきます。当時85kgくらいしか体重がなかったこともありますが、どうやってもスクラムの圧力に耐えることができませんでした。相手からの圧力に耐えられないのはまだしも、味方のバックローからの圧力にも耐えられず、100%自分のせいでスクラムが崩れたと分かる崩れ方ばかりしていました。
2年生になってからは体重も少し増え多少はマシになりましたが、やはり東大戦や西南戦などの試合では劣勢なスクラムが多かった気がします。2年の時は1つ上の偉大な松尾修造先輩と40分交代で半分ずつ試合に出ることが多かったですが、交代後にスクラムが押された時なんかは心のダメージも大きかったです。特に東大戦のような接戦の試合では結構心にきました。
3年生時は4月に肩を痛めて、東大戦まで練習試合にはリザーブとして後半20分だけ出ていましたが、東大戦ではスタメンとして出場することになり、今だから正直に言うとスタメンとして出る準備をしていなかったためかなり緊張しました。3年の東大戦で特に記憶に残っているシーンが2つあり、前半の最後に自陣5mでスクラムを4、5回組み、最終的にトライを取られた場面と後半の中盤で完全にスタミナ切れしてスクラムから浮き上がるワッショイ状態になった場面です。その試合でフロントローとして出てくださった院生の方に「だからもっと体重増やせって言っただろ」と言われてしまいました。
正直、それまでも体重を増やせと言われたことはあったのですが、これ以上増やしたら試合中に動けなくなると思い中々増やすことが出来ませんでした。スクラムで多少負けてもフィールドの方が大事だと考えていていたのです。当時、変なステップ(通称ヌタウナステップ)でラインブレイクすることに快感を覚えていたのもあるでしょう。
しかし、4年生になって厳しい試合を経験したり、東大戦を外から観ていたりして、自分が先輩フロント陣にどれだけ甘えていたかを痛感させられました。これまで押されていたとしても、ターンオーバーされる程押されなかったのは別に自分のお陰ではなく、先輩フロント陣やバックローのお陰だと気付かされました。それに、自分がラインブレイクしなくても、バックスや他のフォワードが勝手にしてくれるし、わざわざフロントローの自分がラインブレイクを狙う必要がないという当たり前の結論に最近気付きました。この真理に辿り着いた東大戦後からは増量に力を入れ、今では97kgになりました。
先日の沖国戦は5日前くらいから試合の夢が出てくるほど考えていて、特にスクラムは昨年の映像を見る限り結構強そうだったので、ずっとスクラムのことばかり考えていました。しかし、試合当日いざスクラムを組んでみると案外優勢に組むことができ、ノリノリで試合をすることができました。相手がいるスポーツなので一概に自分達が強くなったとは言いませんが、スクラムの一体感は間違いなく上がっていると思います。
最近は左プロップ元希、右プロップ自分で組むことが多いですが、本当に元希には助けられています。前々回のリレーブログで自分はまだまだだと書いていましたが、私からしたら十分凄いと思います。しかし、その程度で満足しないのがモンスターだと思うので、これからも頑張ってください。また、他のフロント陣も着々と強くなっていてこれからがとても楽しみです。あと、愛介のロックの押しはとてもいいので、肩に腕を乗せたことも許します。
たいへん長くなりましたが、読んでいただきありがとうございました。次は、共に柳川に行った南九州ファミリーなっちゃんこと池田奈津にバトンを渡したいと思います。
父と母へ
今まで多くの苦労をかけてきましたが、もう少しお世話になります。
4年 PR 野間 祥太 (のま しょうた)
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