白くなりたくて

同期の池田奈津さんからバトンを受け取りました2年の松浦宗源です。なっちゃんといえば、東大戦後に同期で横浜に夜景を見に行った時の笑顔がとても輝いていたことが印象的です。夜景よりもキラキラしていました。

そんななっちゃんのような色白に憧れて、今年の夏は「焼けない」というチャレンジをしてみることにしました。日焼け止め以外の策として、まず考えたのは、帽子を被ることです。遠い昔の野球部時代以来、ほとんど帽子を被ることはなかったのですが、思い切って新しい帽子を買ってみました。偶然にも、院生の大先輩と同じ帽子を買ってしまったようで、最初の頃は、その帽子を被るのが気まずかったのを覚えています。次に考えたのは、長袖の服を着て紫外線を遮ることでした。この部活は、夏は朝8時から2時間練習するのですが、その間、帽子に長袖を着て取り組んでみました。みんなが半袖で練習する中、自分だけが際立って浮いていたことはもちろん実感しておりました。夏に長袖で練習するなんて暑くないのかと思われるかもしれませんが、もちろん暑いです。このチャレンジを成功させるためには、暑さにやられるなどもってのほかです。

夏が進むにつれて、長袖で練習することに慣れてきたのですが、同期や先輩、そして後輩からの非難も大きくなっていきました。非難は嬉しくなかったのですが、それが逆にやる気を掻き立ててくれました。

このチャレンジは、夏中旬に開催された東大戦までは順調でした。考えた策を遂行することができたおかげか、同期から「白っ!」と驚かれるほどでした。しかし、東大戦が終わると、夏は突如変わり、猛烈な暑さが襲ってきました。それに追い打ちをかけるかのように、コーチの考えるメニューも鬼のようになり、僕の新陳代謝が爆発してしまいました。汗が止まらなくなり、日焼け止めは流れ落ち、長袖は体にへばりつき、半袖で練習せざるを得なくなりました。その結果、日焼けが止まらなくなってしまいました。夏前半に日焼けしなかったせいか、後半で巻き返すようにどんどん黒くなりました。指数関数的でした。ついには、夏一度も日焼け止めを塗らなかった同期にも追いつきました。めちゃくちゃ悔しかったです。

こうして、ひと夏のチャレンジは失敗に終わりました。僕の新陳代謝の良さにやられてしまいました。今は、季節も移り替わり、秋になりました。日差しが和らいできて、白い肌が戻ってきてくれそうです。嬉しいですね。また来年、リベンジしたいと思います。

それでは、バトンを3年の永田快さんに渡します。僕が思うに、快さんは九大ラグビー部で最も逞しい先輩です。数年後に超絶美人な奥さんと結婚している未来が見えます。マネージャーさんと結婚してほしいななんて密かに願っているのは、僕と聖永だけの小さな秘密です。

2年 SH 松浦 宗源  

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